斎藤与里 さいとう より
1885~1959年 埼玉県生れ。浅井忠、鹿子木孟郎に洋画を学び、1906年に鹿子木とともにフランスへ渡った。帰国後は「白樺」誌上で、ポスト印象派やフォーヴィスムの作品を紹介した。1912年、岸田劉生らとフュウザン会を結成(翌年解散)。1924年、大阪美術学校の創立に協力し、教授となった。また、槐樹社(1924-1931年)、東光会(1932年-)を創立した。
「知多半島にて」