金山平三 かなやまへいぞう 
1883-1964  東京美術学校で黒田清輝の指導を受け、同校の卒業後ヨーロッパに渡り、印象派絵画などの影響のもと多くの作品を手がける。帰国後は、高い技術に裏打ちされた密度の濃い絵画が高い評価を得る。昭和10(1935)年から翌年にかけて起こった美術界への政治の介入が転機となり、以後は中央画壇との一定の距離を保ち、昭和39(1964)年に亡くなるまで、日本の気候と風土に根ざした風景画を中心に、静物画や人物画など、数多くの作品を制作し続けた。

 
「杏花」油彩6号