野長瀬晩花  のながせばんか   1889-1964
 中川蘆月、谷口香嶠に日本画を学ぶ。 京都市立絵画専門学校に入学するが中退。秦テルヲや竹久夢二らと交遊しながら奇抜な作品を発表し、京都で異色の日本画家として知られた。大正7年には、小野竹喬や土田麦僊らと国画創作協会を創立し、団体の急先鋒として活動。ポスト印象派など最新の美術思潮を採り入れながら、斬新な日本画を多数発表した。