井上安治 いのうえやすじ 
 1864年元治元年―1889年明治22

浅草の呉服屋の番頭の井上清七の長男として生まれる。13歳で父を亡くし、母の手ひとつで育てられる。幼い頃から病弱で絵を好み、14歳で小林清親に弟子入りする。清親の光線画を学びその天才的な画才が認められ、2年後に「浅草橋風景」「新吉原夜桜景」等を版行して版画家としてデヴューする。師と同様光線画で活躍するも、翌年に発表した風景画のシリーズでは師を越えた新生面を開く。しかし折からの洋画排斥運動が起こり、次第に伝統的な浮世絵師の作風に戻り、26歳の若さで脚気衝心で死去。

東京名所絵(東京真画名所図解)は代表作のひとつ。

134点  明治14年から8年間量産された。明治になって各地から上京した人々が東京土産に買っていった。はじめは清親の作品を倣ったものだったが、途中から次第に安治独自の作品になっていった。江戸時代の懐古趣味が感じられる清親と違い、写実的態度に徹し、明晰で透明感のある色調や空間表現で、江戸から生まれ変わった東京を描いている。

 
須崎



向島秋葉境内