津田正周  つだまさちか 
 明治40年京都に生れ、京都絵画専門学校、関西日仏学院などに学んだのち、昭和4年フランスに留学、同8年帰国したが、更に10年から11年迄再度渡仏した。帰国後は自由美術家協会を経て春陽会に移つた。然し、昭和17年、日本映画社美術課に入社以来、画壇を離れ、19年朝日映画嘱託、となり、20年には特派員として渡満した。その後、同地東北大学美術部講師、モスコー電影院画家、或はハルピン美術協会の指導者として、各地で美術関係の仕事に従事中客死した。享年45才
 
「ポンペイ風景」8号  1930年