近藤洋二 こんどうようじ
明治31年 川越市に生れ、大正5年旧制川越中学校卒業後ただちに、本郷洋画研究所と川端画学校に学ぶ。昭和3年から5年まで滞仏。同4年サロン・ドートンヌに「ラ・メイゾン」が入選し、また同年の帝展にもフランスから出品入選した。その他文展・太平洋点に出品。昭和10年から太平洋画会会員となり、以後運営委員となり、とくに戦後は会の再建と運営の中心的存在であり、太平洋美術学校教授としても活躍した。1964年交通事故で逝去66才。
「郊外」6号 1930年作