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作家と作品 |
最低価格 |
作家と作品について |
1 |
山路真護「パリ風景」 |
15,000 |
1900-1969 昭和5~7年に渡仏しているが、その時期の作品。これほど画と額がマッチしているのも珍しい。 |
2 |
吉田喜蔵 「バラ」 |
10,000 |
1889-1944 滋賀県出身。パステル画を中心に描く。技量の確かさが感じられる。 |
3 |
作者不詳 「人物」 |
30,000 |
人物の衣装の模様には金箔が貼り付けられており、18世紀頃のアンチック作品とおもわれる。 |
4 |
原 精一 「静物」 |
15,000 |
1908-1986 神奈川県生まれ。国画会で活躍。1956年に描いた静物画のエスキースで珍品。 |
5 |
原 精一 「裸婦」 |
10,000 |
一貫して裸婦を描きつづけて高い評価をうけた。 |
6 |
水木伸一 「森の家」 |
20,000 |
1892-1978 愛媛県松山市生。1910年 上京し太平洋画会で中村不折に学ぶも素行不良により退会。村山槐多と大正3年7月に同居する。院展洋画部で活躍。槐多の影響や時代の影響を感じさせる。 |
7 |
赤松俊子 「少女」 |
100,000 |
1912-2000 北海道出身。上京して女子美術専門学校で油絵を学ぶ。1937年二科展に初入選。以後出品を続ける。1941年丸木位里と結婚、丸木俊となる。位里の両親が居た広島の原爆投下の惨状を見て「原爆の図」が夫婦のライフワークとなる。また童画、絵本も制作している。これは戦前の作品で世の中を睥睨しているかのような堂々たる女性像。 |
8 |
中出三也「花瓶にバラ」 |
20,000 |
1897-1971 東京生まれ。本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事。大正6年院展に初入選。昭和3年帝展に初入選。17年18年に新文展に入選。甲斐仁代と一緒だった時期があった。 |
9 |
上田泰江 「短い日」 |
8,000 |
うえだやすえ 1930年生まれ、京都府出身。染色を手掛け、30年ほど日展などで活躍するも、 その後絵画に転向する。 |
10 |
古茂田守介「裸婦」 |
20,000 |
こもだ もりすけ 1918-1960 愛媛県生れ。昭和12年上京し猪熊弦一郎、脇田和に師事。15年新制作派協会展に初入選、21年新作家賞、25年会員となる。具象絵画を追究しつづけたが病を得て42歳で早世する。 |
11 |
緑川広太郎 「赤い燈台」 |
20,000 |
みどりかわこうたろう 1904-1983 機知に富んだ都会的センスあふれる画風。 |
12 |
四谷十三雄 「人物」 |
10,000 |
よつやとみお 1938ー1963 長谷川利行かと見紛う線描は軽妙洒脱で魅力的。 |
13 |
滝川太郎 「椿」 |
10,000 |
たきがわ たろう 1903ー1971。石井柏亭の書生となり太平洋画会研究所で絵画を学び、1930年にパリに渡った。 贋作の製作者として西洋絵画の贋作を大量に製作した人物として知られている。 |
14 |
中村 真 「抽象」 |
30,000 |
1914-1967 モダンアート協会の設立に参加するなど戦前の抽象画の発展に寄与する。 |
15 |
井上三綱 「牛」 |
30,000 |
いのうえさんこう 1899ー1981 福岡出身。坂本繁二郎、青木繁等の影響をうける。既存の画風にとらわれないスケールの大きな画家。ペルシャ古代の壁画からモチーフをとる。 |
16 |
井上三綱「牛(頭部)」 |
20,000 |
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17 |
小出三郎 「バラ」 |
35,000 |
1908-1967年 大阪出身。関西の独立美術展の雄として活躍。優れた描写力と繊細な感覚による作品は静謐で深みがある。 |
18 |
斑目秀雄 「果物」 |
10,000 |
まだらめひでお 1911-1986 福島県生れ。上京して小林万吾の同舟舎、大平洋画研究所に学ぶ。1943年独立賞受賞、独立美術協会会員。描く喜びが伝わってくる好品。 |
19 |
寺内萬治郎「亀戸天神」 |
40,000 |
てらうち まんじろう 1890 - 1964年 大正期の作品。後年、裸婦の傑作を描くようになるが、それ以前の模索期の作品。風景画にも非凡な力量を示している。 |
20 |
久泉共三 「牡丹」 |
5,000 |
ひさいずみ きょうぞう 1899- 1993 富山県高岡市に生まれる。1916 年上京、中川一政を知り本格的に絵を描き始める。その後第一回春陽会賞を受賞して会友となる。 1931 年高岡市に戻り、晩年まで富山の美術振興に尽力した。 |
21 |
間部時雄 「海」 |
10,000 |
1885ー1968 浅井忠の助手を務め、のちに関西美術院で活躍。大正9年~14年まで渡仏。この作品は浅井忠の影響を脱し、画家独自の伸びやかな画風となり、清々しい |
22 |
矢崎千代二「公園の朝」 |
20,000 |
やざき ちよじ 1872-1947 神奈川県出身。東京美術学校卒。
黒田清輝に師事して白馬会展、文展などに出品。大正初期に油彩画からパステル画に転じる。 昭和4年日本パステル画会を創設。 |
23 |
野口弥太郎 「紅葉」 |
5,000 |
1899ー1976 独立美術協会で活躍。洗練された色彩感覚と大胆な構図の作品は今なお根強い人気がある。紅葉が軽妙なタッチで描かれている。 |
24 |
野口弥太郎 「挿絵(5点)」 |
10,000 |
「本の手帖」森谷均編集の掲載作品。 |
25 |
木村荘八 「草樹」 |
30,000 |
大正期の作品で稀品。 |
26 |
田辺 至 「語らい」 |
10,000 |
1886ー1968 文展、帝展に出品。日本アカデミズムの大家として活躍。明治から大正期の作品か。男女が何か相談事をしている場面で女性の後ろ姿がしどけなく何か訳ありな様子が秀逸。 |
27 |
山本豊一 「女の像」 |
20,000 |
やまもと とよいち 1899 - 1987 東京出身。戸張孤雁に師事。1923年~28年フランスに留学。パリのグランド・シュミエールで学んだ後マイヨールに学ぶ。東京芸大教授。高田馬場駅前にある平和の女神像も彼の作品。 |
28 |
長谷川 昇 「ぶどう」 |
15,000 |
はせがわ のぼる 1886 - 1973 一貫して官展で活躍。晩年は当代人気の歌舞伎役者を描いて人気を博す。ぶどうの質感をよくとらえている。 |
29 |
栗原 信 「パークホテル」 |
15,000 |
くりはら しん 1894-1966 茨城県出身。濃淡のくっきりした画風が特長。1928~31年に渡欧。その時期に描かれた佳作。 |
30 |
太田三郎 「山峡」 |
10,000 |
1884-1969 肥痩の明確な描線に特長がある。 |
31 |
木下孝則 「バラ」 |
30,000 |
1894ー1973 1930年代に描かれた作家全盛期の作品。重厚な作品で奥行きが深い傑作。 |
32 |
榊原紫峰 「白梅」 |
30,000 |
さかきばら しほう 1887 - 1971 国画創作協会で活躍。同会解散後は画壇から離れ、水墨画に味わい深い作品を遺す。晩年の胸中を知る良品。 |
33 |
江戸歌仙図「見々須」 |
10,000 |
江戸中期の歌仙図。姿を見せない恋人を「身見ず」と「ミミズ」に懸けて歌っている。遊び心が楽しい。 |
34 |
冬青「商人遺訓伝」 |
10,000 |
詞書きに商人として成功しても驕らず慎んで一生を終えた徳操の人物を讃えている。「霜ふれる日の十日のあさしをしはかなくきえし人をこそおもう」 季鷹 |
35 |
作者不詳「大黒」 |
20,000 |
幕末頃の民画。大黒、のろま人形、拳遊びの図。 |
36 |
喜多村 知 「花」 |
200,000 |
作家後期の画業の特長がよく出ている作品。 |
37 |
喜多村 知 「漁船」 |
120,000 |
喜多村 知のことばより 「物そっくりに描きたいとは思わない。写生な何のためか。それは借り物だ。それを借りて自分自身を表現する。」 「夕焼けの美しさ、あれは何だろう。花の美しさも描きたい。描いた夕焼けや空や花は仮の姿で、その奥にある真実だけが人を感動させる。」 |
38 |
喜多村 知 「銚子」 |
60,000 |
39 |
喜多村 知 「望月」 |
80,000 |
40 |
喜多村 知 「能生」 |
70,000 |
90歳まで自己の画業を追求して天寿を全うした。80歳を過ぎた頃から自由自在の境地に到達。この作品は83歳の時描かれたもので、それをよく証明している逸品。 |
41 |
早川幾忠 「黄菊」 |
50,000 |
はやかわ いくただ 1898-1983 深川生。 アララギの島木赤彦らの指導を受け、歌壇にデビュー。25年から京都に移った。短歌と同時に絵、書、篆刻もよくした。 |
42 |
早川幾忠「万葉集より」 |
60,000 |
「大宮之,内二手所聞、網引為跡 網子調流 海人之呼聲」 「大宮の内まで聞こゆ 網引きすと網子ととのふる海人の呼び聲」 |
43 |
大月源二 「たそがれの草丘」 |
20,000 |
1904-1971 東京美術学校を卒業後、プロレタリア美術運動に参加。小林多喜二の代表作の装幀を手がける。後に北海道生活派会を設立。北海道の風景を多く描く。 |
44 |
江藤純平「菊」 |
20,000 |
1898-1987 大分県出身。岡田三郎助に師事。東美卒。大正14年、27歳の作品。アカデミックな画風。 |
45 |
正宗得三郎 「淀橋風景」 |
40,000 |
初期作品で明治期とおもわれる。正宗得三郎研究に欠かせない作品。 |
46 |
森脇 忠 「花」 |
20,000 |
1888ー1949 黒田清輝に師事。図画の講師を勤めながら堅実な画風で帝展に出品。 |
47 |
児島善三郎 「竹」 |
20,000 |
1893-1962 豪胆な筆使いで日本画では味わうことができないさわやかさがある。 |
48 |
作者不詳 「老婦人」 |
20,000 |
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49 |
玉内 「薄暮」 |
30,000 |
たまうち 昭和初期の街道筋の木賃宿であろうか、桜の季節で春雨が降りそそぐのどかな古き日本の風景。 |
50 |
三井文二 「果物」 |
30,000 |
1893-1962 鹿子木孟郎に師事。1930年頃から日本画に転じる。 |
51 |
山口八九子 「洛東の春」 |
30,000 |
やまぐちはちくし 1890-1933 日本画と南画を描き俳人として評価を受けている。 |
52 |
石井了介 「たき火」 |
8,000 |
いしい りょうすけ 1898-1984 東京美術学校日本画家卒。山本鼎の農民美術運動に参画。日本画も描いたが晩年は自刻自刷の版画を制作。晩年の作品。 |
53 |
中村忠二 「地蔵に祈る安房の女たち」 |
10,000 |
1898ー1974 兵庫県出身。1949年頃から水墨画を描き始め、東京の裏街を哀感を込めて描いた。のちに1枚しか刷れない版画、モノタイプを制作。抽象から具象と多岐にわたる題材を描く。その根底には詩人としての抒情性が漂い、見る人を引きつけ、ファンが多い。 注.モノタイプ;ガラスや金属に描画して紙に転写する版画技法。 |
54 |
中村忠二 「漁船」 |
20,000 |
55 |
中村忠二 「向日葵」 |
20,000 |
56 |
中村忠二 「沼」 |
15,000 |
57 |
中村忠二「漁港の女神」 |
40,000 |
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